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◆中庸

e0114015_14564669.jpg今日から10月。
カレンダーをめくると、5月に登った霧島連山の名峰・高千穂峰の写真。頂上に立ったときのあの清々しさ、最高でした。

登山は、何歳になっても、自分のペースで楽しめるスポーツ。
チャンスがあれば、これからも続けて、九州の名山のてっぺんに立ちたいと思ってます。
でも、悲しいことに、まわりのみなさんがあまり乗り気じゃないんですよね、あのときの由布岳で懲りたのかなぁ...

・・・というようなわけで、
近々、九重連山の主峰・久住山に登ります。(ひとりでも)056.gif
※ただし、天気と体調がよければという条件つきで。 


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さてさて。
先週から、孔子の教えを勉強しています。
2500年という時空を越えて、今も愛される『論語』ってすごいなと思ったからです。
これは、「普遍的な何か」がなければ、到底ムリなことですよね。

流行が生み出され、それに流されながら、急速に変化していく情報化社会。
でも、こんな時代だからこそ、
普遍的なものに「軸」を置き、物事を判断する目を養っておく必要性を感じています。

流行を否定している訳ではありません。流行もそれがいつか普遍的な正義となり、常識に変わるかもしれませんから。それに、孔子もこう言ってますよね、新しいもの(流行)も古いもの(歴史・過去)も、両方、知っておくことが大切だと。温故知新。


で、今日の本題へ。
034.gifここ数日、儒教概念のキーワードである「中庸」という言葉に注目しています。

この「中庸」は、いろいろな論争の経緯があって、生み出された言葉みたいですが、
仏教用語の中道ともちょっとニュアンスが違うみたいですし、もちろん、平凡という意味でもなく、ましてや中途半端という意味でもありません。

「中」とは、一方に偏らない、という意味。
「庸」とは、常に、という意味。


要するに、中庸とは、「両極のどちらも知った上で、常に中心に軸足を置き、バランスよく判断すること」と、私なりに解釈しました。

この中庸という考え方、東洋哲学(中国)だけかと思いきや、
それにかなり近い言葉を西洋哲学(古代ギリシャ)でも見つけましたよ。
大哲学者・アリストテレスの言葉、「メソテース」です。
メソテースは、人間の徳のひとつで、例えば、「勇気」とは、「蛮勇」と「臆病」の両極の中間地点にある状態であるときに、はじめて徳として現れるものだとしています。そのためには、思慮や理性が必要とも説いていますね。
東洋(アジア)でも、西洋(ヨーロッパ)でも、人間を研究していけば、結局、同じところに行き着くということなんでしょうか。


  040.gif・・・元々、私、こういう哲学的なことが好きなタイプの人間でして、
  ややこしい奴やなぁと思われた方、スミマセン。もうすぐ終わりますので。



では、まとめとして(^^;

5世紀、古墳時代。大陸から渡来人によって、日本に儒教が伝わりました。
仏教は6世紀に伝来していますから、先に儒教が日本に伝えられたことになります。
その後、儒教は儒学として学問の体系をなし、諸派に細分化されていきますが、一部分を切り取った偏りのある解釈によって、政治的に利用されてきました。ご存知のとおり、特に江戸幕府は、封建的な支配体制を固めるため、儒学(朱子学)を用いました。

しかしながら、本来の孔子の教えは、非常に人間味のある教えが多く、
『論語』の文章から垣間見える孔子と弟子との受け答えは、とても機知に富んでいます。
そして、孔子の時代から2500年経った現在でも、十分、相通ずるものが多いのです。


060.gif人間は人間であって、
その本質は、今も昔も、きっと変わらないんでしょうね。

そんなことを思う今日この頃です。
001.gif


※今日は小6・小5の国私立中模試、
明日は、各中学で中3の学力診断(統一テスト)が一斉に実施されます。がんばろう!!


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by ch-imai | 2009-10-01 15:22 | imaism