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◆幕末の山家にあった「私塾」を訪ねて



今夜は私の得意分野(というほどでもないですが)の話をひとつ。009.gif



ま、大学が歴史学科卒で、
近世日本史が専攻でした..

(ちなみに卒論テーマは「近世福岡藩の藩政改革」)


筑紫野の歴史に関するお話です(^^;






034.gif実は、山家道に新校舎開校を開校するにあたり、


ちょうど昨年の今頃でしたか、
山家宿の歴史に関して下調べを始めました。





なんとなくですが、

それが礼儀なのでは...そんな衝動に駆られたのです。





筑前町二(ふた)という地名の由来や、
長崎街道と日田街道(朝倉街道)とがクロスした場所であること、

そして、筑前六宿のひとつ、「山家宿」は、
当時、行き交う商人たちで大変な賑わいを見せていたこと等々。



興味深い史実が出てくるではありませんか!




中でも、特に興味を持ったのは、

幕末の山家宿に「私塾」があったということです。




今、ちょうどNHK大河ドラマで「花燃ゆ」があってますが、

(吉田松陰の松下村塾!※以前ブログに書きました!)


それと同時代に、山家にも塾があり、
全国各地から勉強熱心な若者が訪れていたのです。013.gif









誰がどんな塾を作ってたんだ..? 








原 采蘋 (はら さいひん)という女性です。


ネットで検索すると、
ウィキやコトバンクにも出てきます。


筑紫野や朝倉の郷土史サイトにも紹介されてます。

http://www.city.chikushino.fukuoka.jp/furusato/sanpo39.htm
http://www.city.asakura.lg.jp/www/contents/1297063521417/




リサーチしたところによると、

男顔負けの酒豪で女傑だったようですね。



日田の咸宜園で広瀬淡窓と出会い、
酒を酌み交わし漢詩を読んだという記録もあります。

※2013年夏の校外学習(日田方面)



父(原古処)のきつい教えもあり、
生まれ故郷の秋月にはほとんど戻らず、
全国を旅して教養を深めていたとのこと。




そして、

原采蘋が山家で開いた塾、
その塾名を「宜宜堂」といったようです。009.gif

(咸宜園の宜をもらったのでしょうか..)






漢詩の世界や儒学の教えを門弟に教えたのでしょう。

全国津々浦々を旅して感じたことを語ったのでしょう。






会って直接お話聞きたいところですが...


それは叶わぬ夢なので、

おこがましくも、

せめて同じ場所に立って、
同じ景色を見てみようと思いまして..




ついに今朝、念願の初訪問!


(郵便局近くの「えびすや」さんにルートを教えていただきました)


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地元のみなさんともたくさん触れ合えました。


道を尋ねたりしたときも、
親切に対応してくださる方ばかり。


心温まる会話がちょっと嬉しかったです。






で、これ買いました!

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郷土史の勉強のため、新校舎に置いておきます。

(私ももっと勉強しとかなきゃ!)



ご自由にどうぞ。 





それでは、今日はこのへんで。006.gif



◆4年前の春、朝倉街道を歩いたときの記事です



by ch-imai | 2015-03-24 02:08 | ちくしんドキュメント